前回の記事では、FIREを迎える前にどのくらいの現金を持っておけばいいのかを考えました。
その中で、現金には単なる「使っていないお金」とは違う役割があるのではないか、と書きました。
それは、
「相場が悪いときに資産を売らなくても済む時間」を作ること。
では、本当にその効果はあるのでしょうか。
今回は、60歳でFIREした直後に大きな相場下落が起きたと仮定して、私自身の資産をもとにシミュレーションしてみることにしました。
FIRE後は「暴落するか」だけでなく「いつ暴落するか」も重要
会社員として資産形成を続けている間なら、株価が大きく下がっても給与があります。
生活費のために、値下がりした株や投資信託をすぐに売らなければならないわけではありません。
むしろ積み立てを続けているなら、安くなった資産を買い続けることもできます。
ところがFIRE後は立場が変わります。
給与収入がなくなり、今度は貯めてきた金融資産から生活費を取り崩していくことになります。
そこで問題になるのが、リターンの「順番」です。
退職直後に大きな下落が起き、値下がりした資産を生活費のために売却すると、その後の相場回復に参加できる資産も減ってしまいます。
同じような長期リターンになったとしても、良い年と悪い年がどの順番でやってくるかによって、取り崩し後の資産額が変わることがあります。
これが「シーケンス・オブ・リターンズ・リスク」と呼ばれるものです。
資産を「増やす側」から「使う側」へ移るFIREでは、無視できない問題です。
60歳でFIREした直後に大きな下落が来たら?
以前の記事では、現在の金融資産約1億3,400万円から60歳まで積み立てを続けた場合の資産推移をシミュレーションしました。
今回はその試算と条件をそろえ、60歳時点の金融資産を約1億6,100万円とします。
そして、FIREを始めた直後に、2008年の金融危機を参考にした大きな相場下落が発生したと仮定します。
2008年には、米国のS&P500が年間で37%下落し、日本株も大きく値下がりしました。
一方で、すべての資産が同じように下落したわけではありません。
日本の債券市場はリーマン・ブラザーズ破綻直後でも年初来でプラス圏にあり、金も2008年通年ではドルベースでプラスでした。
そこで今回は、2008年の値動きをそのまま再現するのではなく、「リーマンショック級の金融危機が起きたら」というストレステストとして、次の条件を置きました。
- 国内株式 −40%
- 外国株式 −45%
- 国内債券 +2%
- 金・銀 0%
- 現金 0%
これらは将来の下落率を予想したものでも、2008年の各資産の実績をそのまま使ったものでもありません。
過去の金融危機を参考にしながら、私の資産配分が大きな相場下落にどのくらい耐えられるのかを見るために単純化した仮定です。
約1億6,100万円あっても、大きく減る
実際の私の資産には、国内株、外国株、株式投資信託、債券投資信託、金・銀、現金、確定拠出年金などがあります。
それぞれを大まかな資産クラスに分け、先ほどの条件を当てはめてみました。
現在に近い株式比率のまま60歳を迎えた場合、現金をどのくらい持つかによって違いはありますが、約1億6,100万円の金融資産は、大きな下落の直後にはおよそ1億円前後まで減る計算になりました。
かなり大きな減少です。
ただ、この数字を見て、
「やはり株式は危ない」
とは思いませんでした。
私が気になったのは別のことです。
「そのときの生活費を、どこから出すのか。」
FIRE後に本当に考える必要があるのは、こちらなのかもしれません。
60歳から65歳までは「年金のない5年間」
これまでの記事で、FIRE後の生活費は年間約600万円をひとまずの予算として考えてきました。
公的年金は65歳から受け取る想定です。
つまり60歳でFIREすると、65歳までの5年間は、基本的に金融資産から生活費を出す必要があります。
5年間なら、
600万円 × 5年 = 3,000万円
です。
もちろん、この3,000万円をすべて現金で持つ必要があるとは限りません。
しかし、もしFIRE直後に相場が大きく下落したらどうでしょう。
現金がほとんどなければ、生活費を作るために、値下がりしている株や投資信託を売らなければならないかもしれません。
一方、ある程度の現金があれば、相場の回復を待つ時間を作ることができます。
現金を1年分から5年分まで用意して比べてみた
そこで、60歳時点の総資産を同じ約1億6,100万円にしたまま、現金の割合だけを変えてみました。
年間生活費600万円を基準にすると、
- 1年分 600万円
- 2年分 1,200万円
- 3年分 1,800万円
- 5年分 3,000万円
です。
ここで大事なのは、現金を別に追加しているわけではないことです。
総資産はすべて同じです。
現金を増やした分だけ、株式などの運用資産を減らしています。
大きな下落が起きた直後の金融資産は、概算で次のようになりました。
| 現金 | 大きな下落の直後 |
|---|---|
| 600万円(1年分) | 約1億円 |
| 1,200万円(2年分) | 約1億300万円 |
| 1,800万円(3年分) | 約1億500万円 |
| 3,000万円(5年分) | 約1億1,000万円 |
当然ですが、現金が多いほど暴落そのものの影響は小さくなります。
しかし、現金の役割はそれだけではありません。
生活費を現金から出せれば、値下がりした運用資産をすぐに売らずに済みます。
前回の記事で考えた、
「現金は、相場が悪いときに資産を売らなくても済む時間」
という意味が、数字にすると少し見えてきました。
その後の資産はどうなった?
次に、大きな下落のあと相場が徐々に回復すると仮定して、その後の資産推移も計算しました。
今回の試算では、比較のために暴落後4年間は年10%、その後は年3%で運用できたものとして単純化しています。
60歳から64歳までは年間600万円を使い、65歳からは公的年金を年間約190万円受け取るとして、金融資産からの取り崩しを年間約410万円に減らします。
その結果、今回の条件では、どのケースでも90歳まで金融資産が枯渇することはありませんでした。
90歳時点では、おおむね9,000万円台から1億円程度の金融資産が残る結果になりました。
大きな下落を想定した割には、私にとっては少し意外な結果でした。
ただし、これで「60歳FIREは大丈夫」と判断できるわけではありません。
今回の計算では、大きな下落のあとに相場が回復するという仮定を置いています。
実際には、どのくらい下落するのかも、回復まで何年かかるのかも分かりません。
物価、税金、社会保険料、将来の生活費も変わります。
このシミュレーションは将来を予測するためのものではなく、
「大きな相場下落が起きたとき、自分のFIRE計画のどこに弱点があるのか」
を考えるためのものです。
それでも、今回置いた条件の範囲では、大きな下落が一度起きただけで、すぐにFIRE計画そのものが破綻するわけではない、ということは確認できました。
現金は多ければ多いほどいい?
今回の厳しい下落条件では、現金を多く持っているケースほど、暴落直後の資産減少は小さくなりました。
しかし、だからといって、
「生活費5年分を現金で持つのが正解」
という結論にはならないと思っています。
現金を増やせば、相場下落時のクッションになります。
その一方で、相場が上昇したときには、株式などに投資していた場合に得られたはずのリターンを逃すことになります。
実際、もっと小さな下落と早い回復を仮定して計算すると、現金を最も多く持つケースが必ずしも有利ではありませんでした。
つまり、
「現金には、少なすぎるリスクと、持ちすぎるコストの両方がある。」
その間のどこを選ぶかが、FIRE前の資産配分を考えるポイントになりそうです。
私が現金を増やし始めた理由が、少しはっきりした
今回のシミュレーションをしてみて、前回の記事で考えたことが、もう少しはっきりしました。
現金は、資産を増やすために持つものではありません。
「今は売りたくない」と言える時間を作るために持つ。
会社員でいる間は、毎月入ってくる給与がその役割を果たしてくれます。
FIREすると、その給与がなくなります。
だから私は、60歳が近づくにつれて、これまでより現金を厚くしていこうと考えています。
それは相場が怖くなったからでも、株式投資をやめたいからでもありません。
資産を増やすためのポートフォリオから、資産を使いながら暮らすためのポートフォリオへ、少しずつ移していく。
そんな準備の一つです。
暴落を予想するより、暴落しても困らない準備をする
次の暴落がいつ来るのかは分かりません。
60歳になる直前かもしれません。
FIREして10年後かもしれません。
しばらく大きな下落が来ない可能性もあります。
それを予想することは、私にはできません。
でも、
相場が悪いときに慌てて売らなくてもいいように現金を持つ。
65歳から入ってくる年金も含めて、必要な取り崩し額を考える。
そして実際にFIREする時点で、もう一度資産額と生活費を確認する。
こうした準備ならできます。
これまで資産形成では、
「いくらまで増やせるか」
を考えることが中心でした。
これからは、
「どうすれば安心して使っていけるか」
も考えていきたいと思います。
FIREに向けた準備というのは、単に目標金額まで資産を増やすことではなく、少しずつ「使う準備」を始めることなのかもしれません。
参考資料
今回のシミュレーションでは、2008年の金融危機における各資産の値動きや、退職後の資産取り崩しに関する考え方を参考にしました。
・S&P Dow Jones Indices
S&P500の過去の年間リターンを確認するために参照しました。2008年のS&P500のトータルリターンは−37.00%でした。
・野村フィデューシャリー・リサーチ&コンサルティング「NOMURA-BPI」
2008年の金融危機時における国内債券市場の値動きを確認するために参照しました。リーマン・ブラザーズ破綻直後の2008年9月16日時点でも、NOMURA-BPI総合は年初来でプラス圏にありました。
・World Gold Council関連資料
2008年の金や銀の値動きを確認するために参照しました。金は2008年通年ではドルベースでプラスとなった一方、銀は大きく下落しており、同じ貴金属でも値動きが異なっていました。
・Morningstar「Sequence of Returns: What It Means and How to Deal」
退職後に資産を取り崩す際の「シーケンス・オブ・リターンズ・リスク」について参考にしました。退職直後の市場下落と資産の取り崩しが重なるリスクや、生活費の一定期間分を現金として確保する考え方などが紹介されています。
なお、今回の「国内株式−40%、外国株式−45%、国内債券+2%、金・銀0%」という条件は、これらの過去の実績をそのまま再現したものではありません。過去の金融危機を参考に、私自身のFIRE計画を検討するために単純化して設定したストレステストです。


